それでもなんとか生きている

普通の会社員のひまつぶしブログ。みなさんの日常に彩りとささやかな情報提供を。

2021.09.05 22:10

ワクチンを打った。よく、だるい、腕が痛いと聞いていたがそんなに思ったほどはなかった。普段感じている頭痛に比べれば、ふーん、という感じだし、だるいっちゃだるいけど、いつもだるいのでワクチンのせいでだるい!とは全然思わない。つまるところ、普通の人に比べて私は普段からワクチン打った状態のような気だるさで生きている…?いやワクチンの反応がそこまでないのだと思いたい。多分そう。もしそうなら辛すぎるぞ。

幸いまだ熱は出ておらず、無事に仕事できそうでホッとしている。明日朝が勝負ではあるが。

オリンピックは避けて来たが、パラリンピックの閉会式は見てしまった。みんなで感動しよう!のノリがすごく苦手なので、アスリートは素晴らしいと思いつつ乗り気にはなれない。

パラリンピックも"ハンデがあっても素晴らしい"みたいな健常者がわざとらしく感動を作るのも苦手だ。「…かわいそうフィルター入れんなよ、障害があってもすごいとかいうなよ」って、冷めてしまう。当たり前に生きてることを、他人から憐れまれるのは私はごめんだ。それは一種の拒絶であり、都合のいいオチを探して自分を安心させたいのかなと思ってしまう。ただ、パラリンピックは出場選手たちが心から楽しんでいたりするので、パラの選手たちが楽しむ顔、競技に挑む姿は好きなのである。

強い人はたいてい気にならないし合わせられるのだから、弱い人や不都合がある人に合わせた基準で施設やらはできたらいいのになと思っている。

閉会式の小池知事のイッセイミヤケの行燈ドレスは素晴らしかったし、パリのパフォーマンスもスピーチも街のテンションも良かった。やはりフランスは洗練されている。毎日周りの人がおしゃれだからなのか、みんなおしゃれに見える。うらやましー。日本でおしゃれな努力することは大変面倒に思ってたんだけど、やはりパリ市民の皆さんの立ち振る舞いを見ると、反省しかない。無地でも決まってるんだよね。オシャレになろうと心に決めた日でした。腕痛いわ。

2021.09.05

いい時間に目が覚めた。休みの日2日目はスッキリと目覚められることが多い。わたしの気力が減るのはストレスからかもしれない。いや普通そうなのだろう。

ストレスを感じていない方がやばいと聞いたことがある。ストレスを感じているのだということから目を背けると、あとで身体に出る。

秋が急に近づいて来て寒い。お金を使わないですごす休日は難しい。似合う服がわからない。鞄が欲しいがいいものが見当たらない。とても悩ましい。自分には人から見てどうかというものが薄いのと、欲しいものが少ない。

昨日3食自炊してみて、自分はご飯を食べることができれば、あとは自分の責了で暮らせたら他に望むものは、そんなにない、人と比べたら薄い気がしている。もともと出家したかった、世間から離れたかった、欲深い人間なので、テレビのないいまの暮らしは宗派のないプチ出家みたいなものかも。中学生の頃、源氏物語を読んで、なにかあったら出家しようと強烈に思ったことが今の自分を作っているのかもしれない。

仕事の使命は別にある。プライベートでは、ごはんをきちんと作り生活を繰り返すこと、他人から見たら虚しく思えるかもしれないが、これがわたしの人生でのやりたいことかもしれない。そこに今他人は介在していない。家事をやって当然、好きでやってることに付き合ってあげていると思われることが嫌いなので、1人がいいのだ。

何も考えずに言葉をかけるブログがあることが嬉しい。見返すことはほとんどないが、とても幸せである。

2021.09.04

朝、今日は休みなんだと目覚める。起きたてのだるさほど、気だるいものはない。さっと食べれるものを用意しておけば気分は晴れるのだろうか。

人にものを伝えるのは難しいと思う。厳しくなってしまう。自分に対してはもっと厳しいので、人に対しては少し優しくしてるつもりだけど、でも持っている責任みたいなものを考えるとバランスが難しい。塩梅がとても難しい。そこが自分の不器用さ、理解できていないところだと思う。表ではニコニコして理解者ですよと振る舞っていても、ああわたしのことは心の底でちょっと馬鹿にしてるな、と思うこともある。逆もある、人に敬意を払えない振る舞いをしていても、心の底では敬意を払われてることもある。

人といるのはそこまで好きではない。でも多くの人は人とうまくやり、コミュニケーションをとっているように見える。私はずっと苦手だ。内弁慶でかっこつけ、と言われたらそうかも知れない。内向的と内省的だけど人見知りはしないというレアな方だと思う。

うらやましいなと他人を思うこともある。私が見ているものは他人の切り取られた一部でしかないが、集団の中で楽しそうに生きている人々は素晴らしく美しく見える。気力も体力も薄い私には、多数の他人は怖いのかもしれない。それで自分が何を得ているのかはわからない。

私はそうやって、1人でいることを好んでいる。寂しさはありつつも、人と出かけるのはやはり気疲れはする。世の中の明るい人たちは、もっとサクッとさっぱりしている気がする。みんないい人だから。

2021.09.03

今朝は久々に動けなかった。今日無理して出勤すれば明日一日寝込んでいた可能性高かった。午前中に半休をもらったものの、やはり本調子は出ない。どうにか仕事できる体力は保てたので良い判断だったとは思う。

今、お腹すいてはいるのだが、胃痛がひどい。みぞおちにかけて痛むので胃痛だと思う。お腹を下した感じとはまた違う痛みなのだ。

昨日夜食べた適当ピザが良くなかったのか、いやでもその前から胃が弱っているのは感じていたはずだ。辛ラーメンのせいかもしれないが、古いナスも食べたし…。

冷蔵庫で賞味期限を迎えるステーキ肉が待っている。400円くらいの安い肉だが、お腹空いてるのに食べる気がしない。困った。健康な体を私にください…。

2021.09.02

誰かがやらなければならないものがあるわけで、一つ落とし所をつけるためには、なかなかエネルギーを使う。

今日もよくやったなあと思うし、こんな時にピザを取るよりも作ろうかななんて思ってるところはとても偉いと思う。自分の落ち度もあったのか、それは正解、その道を通り抜けた人にしかわからないので難しい。

うん、作ろうかな、今日は。

2021.09.01

今日から9月である。

毎月1日や水曜日は映画館に行くのが私の楽しみだった。5000円の娯楽費だ。レンタルビデオ屋でも10本くらい借りて、漫画の時もあって合計1万円。そんな習慣が6年前の自分の楽しみだった。

人は変わるもので、尽きないコンテンツを見るうちに、段々パターンとか、これは映画館で見ればよかろう、これはサブスクでみればいいか、と思うようになる。

レンタルビデオ屋さんや日本のテレビ番組は、在庫やキャパシティの関係上選定されているので、Netflixに加入した後は、そのコンテンツの自由さにすごく驚いている。これまで誰かが取り上げたり、NHKが放送枠取らないとみられなかったようなドラマコンテンツが山ほどある。リアリティーショーも。私がみていた世界は、誰かから編集されたものだったのだとふと思う。Netflixももちろん編纂はされていると思うが、ブラジルやイギリスやインドや、世界各国のコンテンツがオンタイムで見れるのだ。

もともとインド映画が2、3年遅れで入ってくることに関して、かなり戸惑っていたのだが、Netflixは興行成績に関わらないので関係ない。良質なコンテンツが豊富であることの方が大事だからだ。

良くできているなあと思うのと、無駄がないなぁとも思う。今あるものを最大限活かすことととか、自身の魅力はなんなのかとか、これまでにないものを世界に出すというのは、良くできた仕組みに他ならないように思う。今あるものを最大限活かしていくNetflixに私は定額を払い続けると思う。レンタルビデオ屋で借りてた頃の1/10の予算で済んでいるのだから。ありがとうNetflix

2021.08.31

夏が終わる。いや8月が終わるというのが正しい。暑すぎる日々にぐったりしていたし、コロナでどこへも出かけにくいしで、そもそも薄い夏へのモチベーションがよりなくなっている。

暑すぎるので、出かけたとしても変なところから汗が吹き出すし、友達もしっかりそれぞれ働いていたり幼い子がいたりと、会いたくても気を使う。食欲はやはり薄い。

昨日は食欲がない、いや、あると書いたが、食欲は薄い。やはり夏バテ極まりない。そうなのだ、夏バテなのだ。キッチンで火を使う気にならない。電鍋であたためることや、オーブンで焼くことも。立ち上がって直立でいることが苦手なのか。それは動物としてどうなのかはさておき、ずっと横になっていたい。座るのも疲れる…。

とはいえ横で仕事になるのはブッタくらいで、一般会社員には許されない生き方だ。ブッタになりたいかというと、自分をめちゃくちゃ慕う人たちがいるというのも人生ヘビーだし、団体組織を乗っ取ろうと毒とか盛られた日にはたまらない。なので私はある一定の範囲内で、最大限にぐうたらできればいい。一般人最高である。ああ暑い。